土器焼成坑
蓑村の東に小高い丘がありますが、ここが鳥墓というところで鳥墓神社があります。この地は昔、天照大神が五十鈴の川上にお鎮まりになったときから伊勢神宮神だちの置かれたところです。神だちというのは神宮の役所で孝徳天皇の大化五年(649)までありました。昭和12年からこの地に神宮土器調整所がおかれて、神宮で使われる土器はすべてここでつくられています。斎宮歴史博物館の裏側にあたる『古里体験広場』に、古代の人々が使った素焼きの土器を焼く窯=焼成坑の模型が完成しました。焼成坑の模型は、長さが約3m、幅が約1・5mのものをはじめとする3基。明和町蓑村にある『北野遺跡』に見られる焼成坑跡をモデルに、(財)国史跡斎宮跡保存協会が製作したもの。今後は土器づくりの際の野焼きに無料で使えるそうで、古代の人々の暮らしぶりを学ぶための土器づくりの体験学習に大いに役立てられそう。 |
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六地蔵石どう
石でつくった燈ろう形の塔で、六角形になっており各面に六地蔵がきざんであります。高さは194センチメートルで、室町後期(永正十年)にたてたものです。その形のよくととのった美しさは三重県にある石どうの中でもすぐれたものの一つです。もとここに笛川地蔵院というお寺があり、そこに建てられた石どうです。 |
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伊勢街道
古来、伊勢街道は、京都と伊勢を結ぶ公道としてだいじな街道でした。十六世紀、蒲生氏郷が松阪城に入ると、一志から斎宮までの公道を、松阪市街を通って現在の形にし、祓川から宮川までの街道も、以前の道を廃して、上野−明星−新茶屋−小俣に変って現在に至っています。昔の伊勢街道は大へんな賑わいで、宿屋、飲食店、土産物屋などの商家が軒を連ね、斎宮茶屋、明星茶屋などは有名でした。今は交通機関の発達で参宮街道としての任は終っていますが両側の古い建物や塀、門などに往時の面影をとどめています。 |
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