平安時代の斎王その2

伝説と歴史が伝える斎王の数は74名。
このコーナーでは、各斎王の名前、概略、卜定された年、年齢などを一覧表でご紹介します。
それぞれの斎王のデータの向こうに、絡み合う歴史の流れが見えてくるでしょうか…。

平安時代の斎王その2
斎王名
(読み方)
概略 天皇名 続柄 卜定年
西暦
(年齢)
退下年
西暦
(年齢)
在任
期間
雅子内親王
(まさこ)
父: 醍醐天皇
母: 源周子・近江更衣(源唱女)
藤原敦忠と文を交わし、会う約束をした矢先に斎王に卜定される。この時の卜定は2度にわたって凶と出て、3度目の亀卜によって選ばれている。
6年後、母親の死によって28歳で退下。退下後、藤原家の権力者・師輔に求められ、ついに敦忠とは結ばれず。
敦忠は、『敦忠集』などに切ない恋の歌を残している。
  • いけころしみをまかせつつちぎりこし むかしを人はいかに忘るる
天暦8年(954年)、45歳で死去。
朱雀 異母姉妹 承平1年
931年
承平5年
935年
5年
斉子内親王
(きよこ)
不明 朱雀 不明 承平6年
936年
春か
不明 不明
徽子女王
(よしこ)
父: 重明親王(醍醐天皇皇子)
母: 藤原寛子(藤原忠平女)
醍醐天皇の第4王子・重明親王の娘として生まれ、8歳で斎王に卜定。
母の急死により退下、
その2年後に入内し、叔父にあたる村上天皇と結婚、斎宮女御と呼ばれる。
三十六歌仙の一人にも選ばれ、村上天皇との間に生まれた規子内親王が27歳で斎王に卜定されると、時の天皇の命令に背いて娘とともに再び斎宮へと赴く。
源氏物語の六条御息所のモデルであるとも言われる。
朱雀 めい 承平6年
936年
(8歳)
天慶8年
945年
(17歳)
10年
英子内親王
(はなこ)
父: 醍醐天皇
母: 藤原淑姫(藤原菅根女)
天慶9年(946年)、野々宮で病死。享年26歳
村上 異母姉妹 天慶9年
946年
(26歳)
天慶9年
946年
不遂群行
1年
悦子女王
(よしこ)
旅子とも記される
父: 重明親王
母: 藤原寛子
徽子女王の同母姉妹。
父喪により退下。
村上 いとこ 天暦1年
947年
(6歳)
天暦8年
954年
(13歳)
8年
楽子内親王
(やすこ)
楽子とも記される。
父: 村上天皇
母: 荘子女王(代明親王女)
村上天皇崩御により退下。
長徳4年(998年)、47歳で死去
村上 皇女 天暦9年
955年
(4歳)
康保4年
967年
(16歳)
13年
輔子内親王
(すけこ)
父: 村上天皇
母: 藤原安子(藤原師輔女)
冷泉天皇譲位により退下。斎宮には赴かず。
正暦3年(992年)、40歳で薨去。
冷泉 異母姉妹 安和1年
968年
(16歳)
安和2年
969年
不遂群行
2年
隆子女王
(たかこ)
父: 章明親王(醍醐天皇皇子)
母: 藤原某女(藤原敦敏女)
醍醐天皇の皇子・章明親王の第一王女で、時の天皇・円融天皇のいとこにあたる。
安和2年(969年)に卜定、天禄元年(970年)に群行が行われたが、天延2年(974年)、疱瘡のために死去。
隆子女王の陵墓は「伝隆子女王の墓」として三重県多気郡明和町にある。
円融 いとこ 安和2年
969年
天延2年
974年
6年
規子内親王
(のりこ)
父: 村上天皇
母: 徽子女王
村上天皇の第4皇女で、第38代斎王・徽子女王の娘。
群行するとき、時の天皇の制止を振り切った徽子女王が同行。
源氏物語の秋好中宮のモデルと言われる。
圓融天皇譲位により退下。
寛和2年(986年)、38歳で死去。
円融 異母姉妹 天延3年
975年
(27歳)
永観2年
984年
(36歳)
10年
済子女王
(なりこ)
済子とも記される。
父: 章明親王(醍醐天皇皇子)
母: 藤原某女(藤原敦敏女?)
第43代斎王・隆子女王の同母姉妹。
卜定時、20歳過ぎと思われる。
野々宮での密通により解任。
花山 遠縁 永観2年
984年
寛和2年
986年
不遂群行
3年
恭子女王
(たかこ)
父: 爲平親王(村上天皇皇子)
母: 源某女(源高明女)
5歳で群行し、その時別れの御櫛を刺した一条天皇は9歳。
父喪により退下。
一条 いとこ 寛和2年
986年
(3歳)
寛弘7年
1010年
(27歳) 
25年
当子内親王
(まさこ)
当子とも記される。
父: 三條天皇
母: 藤原城子(藤原済時女)
別れの御櫛の儀式の際、父三条天皇は、悲しみのあまり、禁忌を破って振り返る。まるでこれが前触れであったかのように、16歳で退下する際、その理由は、三條天皇が藤原道長に強要されての譲位、しかも薬害によって失明という凶事。退下後も、藤原道雅との恋を許されず出家し、治安3年(1023年)、23歳で薨去。
三条 皇女 長和1年
1012年
(12歳)
長和5年
1016年
(16歳)
5年
嫥子女王
(よしこ)
父: 具平親王(村上天皇皇子)
母: 為平親王女
21年間の長きにわたって斎王をつとめた斎王。
長元4年(1031年)、月次祭に出席の最中、にわかに神がかりし、斎宮寮頭夫妻やその家来らの悪事や政治の乱れなどを告発する託宣を下したと記録される
のち、後一篠天皇の崩御によって退下し、47歳で藤原教通と結婚。77歳の長寿で死去。
後一条 遠縁 長和5年
1016年
(12歳)
長元9年
1036年
(32歳)
21年
良子内親王
(ながこ)
父: 後朱雀天皇
母: 禎子内親王
長久元年(1040年)、斎宮良子内親王貝合が行われ、雅やかな貝合の様子がうかがえる。
後朱雀天皇譲位により退下。
承暦1年(1077年)、49歳で薨去。
後朱雀 皇女 長元9年
1036年
(8歳)
寛徳2年
1045年
(17歳)
10年
嘉子内親王
(よしこ)
父: 敦明親王(三条天皇皇子)
母: 小一条院(藤原寛子?/藤原道長女)
父喪により退下。
後冷泉 遠縁 寛徳3年
1046年
永承6年
1051年
6年
敬子女王
(たかこ)
父: 敦平親王(三条天皇皇子)
母: 源某女(源則理女)
後冷泉天皇崩御により退下。
後冷泉 遠縁 永承6年
1051年
治暦4年
1068年
18年
俊子内親王
(としこ)
父: 後三條天皇
母: 藤原茂子(藤原公成女)
樋口斎宮とも呼ばれた。
後三条天皇譲位により退下。
長承1年(1132年)、77歳で死去。
後三条 皇女 延久1年
1069年
(14歳)
延久4年
1072年
(17歳)
4年
淳子女王
(あつこ)
父: 敦賢親王(小一条院皇子)
母: 源某女(源親方女)
父喪により退下。
白河 遠縁 延久5年
1073年
承暦1年
1077年
5年
媞子内親王
(やすこ)
父: 白河天皇
母: 藤原賢子(藤原顕房女)
母喪により退下。
のちに郁芳門院と呼ばれる。
永長1年(1096年)、21歳で死去
白河 皇女 承暦2年
1078年
(3歳)
応徳1年
1084年
(9歳)
7年
善子内親王
(よしこ)
父: 白河天皇
母: 藤原道子(藤原能長女)
堀河天皇崩御により退下。
長承1年(1132年)、56歳死去。
堀河 異母姉妹 寛治1年
1087年
(11歳)
嘉承2年
1107年
(31歳)
21年
姁子内親王
(あいこ)
父: 白河天皇
母: 源某女(藤原李実女)
鳥羽天皇譲位により退下。
長承元年、死去。享年不明
鳥羽 おば 天仁1年
1108年
(16歳)
保安4年
1123年
(31歳)
16年
守子女王
(もりこ)
父: 輔仁親王(後三条天皇皇子)
母: 源某女(源師忠女)
伏見斎宮と呼ばれた。
崇徳天皇譲位により退下。
保元1年(1156年)、46歳で死去。
崇徳 不明 保安4年
1123年
(13歳)
永治1年
1141年
(31歳)
19年

 

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