鎌倉時代、南北朝時代の斎王

伝説と歴史が伝える斎王の数は74名。
このコーナーでは、各斎王の名前、概略、卜定された年、年齢などを一覧表でご紹介します。
それぞれの斎王のデータの向こうに、絡み合う歴史の流れが見えてくるでしょうか…。

鎌倉時代の斎王
斎王名
(読み方)
概略 天皇名 続柄 卜定年
西暦
(年齢)
退下年
西暦
(年齢)
在任
期間
粛子内親王
(すみこ)
父: 後鳥羽天皇
母: 源某女・兵衛督 (源信康女)
土御門天皇譲位により退下。
土御門 異母姉妹 正治1年
1199年
(4歳)
承元4年
1210年
(15歳)
12年
熈子内親王
(ひろこ)
父: 後鳥羽天皇
母: 某姓石・丹波局 白拍子
順徳天皇譲位により退下。
順徳 異母姉妹 建保3年
1215年
(11歳)
承久3年
1221年
(17歳)
7年
利子内親王
(としこ)
父: 守貞親王(高倉天皇皇子)
母: 藤原棟子・北白河院(藤原基家女)
後堀河天皇譲位により退下。
建長3年(1251年)、55歳で死去。
後堀河 同母姉妹 嘉禄2年
1226年
(28歳)
貞永1年
1232年
(34歳)
7年
てる子内親王
(てるこ)
父: 後堀河天皇
母: 藤原某女(藤原兼良女)
四条天皇崩御により退下。
寛元4年(1245年)、16歳で死去。
四条 異母姉妹 嘉禎3年
1237年
(7歳)
仁治3年
1242年
(12歳)
6年
曦子内親王
(あきこ)
父: 土御門天皇
母: 源某女(源有雅女)
後嵯峨天皇譲位のため野々宮より退下。
弘長2年(1262年)、39歳で死去。
後嵯峨 異母姉妹 寛元2年
1244年
(21歳)
寛元5年
1246年
(24歳)
不遂群行 
3年
榿子内親王
(やすこ)
父: 後嵯峨天皇
母: 藤原列子(藤原是雄女)
藤原某女(藤原親秀女)
亀山帝の斎王として14歳で卜定され、16歳で斎宮へと群行。
斎宮にいたころの榿子内親王の様子は『増鏡』に記されており、榿子内親王が19歳の時、五月雨がやまず、神宮への参向も舟でおこなわれ、管弦を奏でて楽しんだことが記される。
文永9年、後嵯峨上皇崩御により退下。
『増鏡』によると、その後3年も帰京が遅れたほど神の御心にかなった斎王であったと伝えられる。
以後、斎王が斎宮へ群行することはなく、榿子内親王は斎宮へ群行した最後の斎王となる。
弘安7年(1284年)、36歳で死去。
亀山 異母姉妹 弘長2年
1262年
(14歳)
文永9年
1272年
(24歳)
11年
弉子内親王
(まさこ)
弉子とも記される
父: 後宇多天皇
母: 藤原忠子・談天門院(藤原忠継女)
後二条天皇崩御のため野々宮より退下。
正平3年(1348年)、62歳で死去。
後二条 異母姉妹 徳治1年
1306年
(21歳)
徳治3年
1308年
(23歳)
不遂群行
3年
懽子内親王
(よしこ)
父: 後醍醐天皇
母: 藤原禧子・礼成門院(藤原実兼女)
後醍醐天皇の倒幕計画が失敗した元弘の乱により、群行することなく元弘元年(1331年)に後醍醐天皇譲位のため野々宮より退下。
正平17年(1362年)、48歳で薨去。
後醍醐 皇女 元徳3年
1330年
(17歳)
元弘1年
1331年
(17歳)
不遂群行  
1年
南北朝時代の斎王
斎王名
(読み方)
概略 天皇名 続柄 卜定年
西暦
(年齢)
退下年
西暦
(年齢)
在任
期間
祥子内親王
(さちこ)
父: 後醍醐天皇
母: 藤原廉子・新待賢門院(藤原公廉女)
建武元年(1334年)、兵乱のため野々宮より退下。
退下後の消息は不明だが、野々宮より百首の歌を大神宮に奉納したこと、保安寺で落飾したらしいことがわずかに伝わる。
以後斎王は選ばれず、最後の斎王となる。
後醍醐 皇女 元弘3年
1333年
不明 不明

 

他の時代の斎王

伝説の時代の斎王

飛鳥時代の斎王

奈良時代の斎王

平安時代の斎王その1

平安時代の斎王その2

平安時代の斎王その3

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