斎宮発掘情報

発掘調査風景

 斎宮は、斎王制度の確立から平安時代の全盛期を経て南北朝時代の到来とともに終焉を迎えた。以後約700年もの間幻の都となっていた斎宮が発掘されたのは、昭和45年、古里地区の宅地開発にともなう事前発掘調査であった。これをきっかけに、現在の史跡公園「斎王の森」周辺で発掘調査が続けられた結果、大きな国の役所で使われる蹄脚硯(ていきゃくけん)の破片が発見され、大規模な遺跡が実在することなどから、その遺跡がまぎれもなく斎宮であると確信する決め手となった。また、当時の宮廷で使われていた緑釉陶器(りょくゆうとうき)は、古代の同じ地方都市である太宰府を遥かにしのいで、平安京と肩を並べるほど数多く出土しており、斎宮の華やかな生活がうかがわれる。

 その全貌の解明が心待ちにされる斎宮跡137ヘクタールは、昭和54年に国の史跡に指定され、現在も斎宮歴史博物館と明和町によって計画的な発掘調査が行われている。

The Saio system was abolished in the 14th century. Ever since then, Saiku has been an abandoned city. In 1969, however, a land development project was started in the area and preliminary excavation survey uncovered the city. Excavation and survey are still continued today.

土馬

 雨乞いや長雨がやむのを祈る祭りに使われたとされる土馬は、現在28点出土していますが、頭・脚・尾など破片で完形のものはありません。中でも古里地区から出土した体長40センチメートル(推定)をこえる朱塗りの土馬は、全国一の大きさのものです。

陶硯

 斎宮跡から出土している硯には、蹄脚硯、円面硯、風字硯、形象硯など宮域内各所から約70点出土しています。中でも、蹄脚硯は平城京・太宰府等の役所からしか出土していないもので、官庁専用といった特殊な硯です。

緑釉陶器

緑釉陶器は、宮域各所よリ6000点以上出土しており、その量は、平城京(奈良)、平安京(京都)に次ぐものてす。これらは、上流貴族が使用したものといわれており、東海(愛知・岐阜)・近江・京都でつくられたものと考えられます。

史跡斎宮跡第127次調査

 斎宮跡では、時代によって建物や道のあった場所が異なります。

これまでの調査では、さまざまな時代の建物や道の跡が発掘されましたが、それらの調査によって斎宮歴史博物館の南側から史跡斎宮跡の南東部にかけて奈良時代の古道が通っていたことが確認されています。

 この道は、平城京と伊勢神宮を結ぶ官道(公の道)で、都から使わされた勅使(天皇の使い)も通りました。

 また、斎宮跡の東部には奈良時代後期から平安時代前期(8世紀末)に碁盤の目状の「方格地割(ほうかくちわり)が造られていました。
明和町上園地区で行われた史跡斎宮跡第127次調査は、奈良時代の古道と、その部分に方格地割の道があったかどうかを確認するために行われました。

斎宮跡

 調査では、奈良時代から平安時代にかけての道路の側溝と考えられる溝を中心とする遺構が確認されました。建物の跡は堀立柱建物(ほったてばしらたてもの)1棟だけでした。調査が行われた場所は、周囲に比べて低地となっているので、人が住むのには適さない場所だっだのかもしれません。

お問い合わせ
斎宮跡・文化観光課 文化財係
〒515-0332 明和町大字馬之上945番地
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ファックス:0596-52-7133

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