ストーリーの構成文化財一覧表

 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が平成27年4月24日に認定されました。

 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に発信することにより、地域の活性化を図る制度です。

ストーリーの構成文化財一覧表

1.斎宮跡(さいくうあと)

斎宮跡

  幻の宮・斎宮が蘇ったのは、時代が昭和を告げてからでした。発掘調査により斎宮の存在が確かなものとなり、昭和54年、国の史跡「斎宮跡」として指定されたものです。都のような「方格地割(ほうかくちわり)」という基盤の目状にまちなみが整えられ、道路が走り、木々が植えられ、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が100棟以上も建ち並ぶ整然とした都市であったことが明らかになりました。そこにはさまざまな役割を担う500人以上もの官人が勤め、天照大神に仕える斎王ただ一人を支えていたのです。

2.斎宮跡出土品(さいくうあとしゅつどひん)(斎宮歴史博物館蔵)

斎宮跡出土品

  斎王の斎宮での暮らしは、祈りを捧げる慎ましやかな生活の一方で、十二単をまとい、「貝合わせ(かいあわせ)」や「盤双六(ばんすごろく)」など当時の遊びに興じ、歌を詠むといった都での雅な生活を再現するものでした。斎宮跡の発掘調査では、緑色に発色する焼き物の緑釉陶器(りょくゆうとうき)、土器や陶器に文字や記号などが墨書きされた墨書土器(ぼくしょどき)、祭祀用具など数々の出土品があり、斎王の日常をうかがう手がかりとなっています。
  特に当時の宮廷で使われていた緑釉陶器は、数多く出土しており、斎宮の華やかな生活を裏付けています。慣れ親しんだ都の生活の再現が、斎王の楽しみだったのかもしれません。

3.斎王の森(さいおうのもり)

斎王の森

  斎王制度が始まって最初の斎王は、天武天皇の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)でした。以来約660年続いた斎王制度も、南北朝の時代に入ると国が乱れ、後醍醐天皇の娘である祥子(さちこ)内親王を最後に、廃絶してしまいます。こうして、さまざまな史実と伝説を生み出してきた斎王制度は、歴史の中に埋もれ、斎宮は「幻の宮」となったのでした。
  しかし、斎宮に住む人々は、先祖代々語り継がれてきた斎王・斎宮の存在を信じ、斎王の御殿があったとされる場所を「斎王の森」として大切に守ってきました。森の中には「斎王宮阯」の石碑や、杉の木でできた黒木の鳥居があります。

4.竹神社(野々宮)(たけじんじゃ ののみや)

竹神社

  竹神社(野々宮)は、現在も多くの神様がお祀りされているとともに、斎王の宮殿があったとされる神聖な場所です。江戸時代には、「野々宮」または「旧地之森」とも呼ばれていました。
  近年行われた発掘調査により、竹神社を囲むように平安時代の土塁、溝、塀の痕跡が確認され、この場所に斎王の宮殿があったことが推定されるようになりました。発掘調査では、ひらがなが書かれた墨書土器が多く確認され、斎王に仕えた女性たちが、字の練習に使ったと考えられています。
  荘厳な雰囲気を保ち続けている場所である竹神社にいると、雅な生活を楽しみながら、清らかな日々を送った斎王の暮らしが感じられます。平安時代、祈りの拠点であったこの地が、現在でも地元の神社として信仰され、祈りの精神が伝えられ続けています。

5.祓川(はらいがわ)

祓川

  斎王制度が確立した後、斎王は天皇の即位に伴い、未婚の内親王または女王から占いによって選ばれました。斎王に任命されると宮中の初斎院(しょさいいん)や、野宮で心身を清める潔斎(けっさい)の日々を約3年過ごします。その後、いよいよ慣れ親しんだ都を離れ、数百人ともいわれる従者に伴われて、葱華輦(そうかれん)という輿に乗り斎宮へと向かいます。
  「斎王群行(さいおうぐんこう)」と呼ばれる5泊6日のこの旅は、斎王にとって神に近づく禊祓(みそぎはらえ)の旅であり、聖なる神領の入り口を流れる「祓川」で斎宮に入る前の最後の禊を行ってようやく斎宮に着任します。静かに流れる祓川の水面を眺めていると、1000年の時を経て斎王の数奇な運命が映し出されるようです。

6.竹川の花園(たけがわのはなぞの)

竹川の花園

  平安時代を代表する物語文学『源氏物語』にも、斎王・斎宮が多く描かれています。
  たとえば、六条御息所が斎王に選ばれた娘とともに伊勢に下る「賢木(さかき)」帖、その娘が斎王を退任し、冷泉帝に入内したことで斎宮女御(さいくうのにょうご)とよばれる「絵合(えあわせ)」帖などですが、これは実際に娘に付き添って斎宮に赴いた徽子(よしこ)女王と規子(のりこ)内親王親子がモデルとされています。
  ほかにも「竹河」帖には、今も残る斎宮の地名「竹川」が登場し、竹川にある花園を舞台にした恋の歌を宴で紹介する場面があります。斎王が生きた時代、このあたりは川にほど近く、斎宮からは花園を一望できたはずです。四季折々に咲く美しい花に、遠く過ぎ去った都での思い出を重ねながら、心癒す毎日を送っていたことでしょう。

7.隆子女王の墓(たかこじょおうのはか)

隆子女王の墓

  天皇の崩御や譲位、肉親が亡くなるなどの不幸があると斎王は任を解かれます。これを退下といいます。斎王は本座から退き、別の建物に座を移しました。そして、都へ帰る際、理由が天皇譲位の場合は往路と同じ鈴鹿峠・近江路を通り、不幸な理由(凶事)の場合は、伊賀・大和路を通ったといいます。いずれも難波津(現在の大阪市)で禊を行った後、密かに入京したそうです。
  円融天皇の代の斎王として伊勢に遣わされた醍醐天皇の孫女・隆子女王は、在位わずか4年で病死しました。斎王が斎宮で亡くなるのは初めてのことで、手厚く葬られたことは想像に難くありません。隆子女王が眠るとされる墓(宮内庁管理)は、深い木々の中で清楚なたたずまいを見せており、1000年を経てなお悲しみをたたえた空気に包まれています。

8.斎王尾野湊御禊場跡(さいおうおののみなとおんみそぎばあと)

斎王尾野湊御禊場跡

  斎王が伊勢神宮へ赴き神事に奉仕するのは、6月と12月の月次祭(つきなみさい)と9月の神嘗祭(かんなめさい)の3回に限られていました。これを「三節祭」と呼びます。
  斎王はこのうち神嘗祭にあたり、8月晦日に大淀の浜で禊(みそぎ)を行いました。
  斎王が禊を行ったとされる尾野湊御禊場跡は、昔は海岸近くにありましたが、今は海岸からは少し離れています。
  「斎王尾野湊御禊場阯」と記された大きな石碑を見上げれば、今なお不明とされる斎王の禊とはどのようなものであったか、思いを馳せる楽しさが青空のように広がっていきます。

9.大淀(おおよど)

大淀

  斎王の歴史は日本神話の時代まで遡ります。語り継がれる伝説の初代斎王は、天照大神の杖代わりとなって奉仕する御杖代(みつえしろ)だった豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)です。そして、その跡を継ぎ、天照大神の鎮座の地を求めて大和国をお発ちになったのが倭姫命(やまとひめのみこと)でした。
  伊賀、近江、美濃などの諸国を経た倭姫命は、伊勢の地(現在の明和町大淀)に入られます。それが斎王と明和町の縁の始まりとなったのです。

10.業平松(なりひらまつ)

業平松

  『伊勢物語』の「狩の使(かりのつかい)」段には、在原業平と斎王の恬子(やすこ)内親王がモデルと言われる恋物語として狩の使の男と斎王の一夜の出会いが描かれています。再び会いたいと願った業平でしたが、尾張国に行かねばならず、二人は別れを惜しんだ歌を詠み交わしました。地元では二人が歌を詠み交わした場所が大淀海岸の業平松の下とされています。現在のものは業平松保存会の手で植えられた三代目となり、周囲は業平公園として地元の人に親しまれています。
  ほかにも、斎王は『大和物語』、『栄華物語』、『更級日記(さらしなにっき)』、『大鏡』など多くの王朝文学に登場しています。神に仕える未婚の皇女という運命ゆえの悲恋が多く、業平公園を散策すれば、そんなはかない恋物語の風景が思い起こされます。

11.佐々夫江行宮跡(ささふえあんぐうあと)

佐々夫江行宮跡

  伊勢の地に入られた倭姫命は、4年の月日を飯野高宮(いいのたかみや)(現在の松阪市)で過ごされました。そして、櫛田川を下った後、海に出て大淀に御船をとどめられ、佐々夫江行宮をおつくりになりました。現在、倭姫命が滞在されたとされるお宮は、山大淀の西、笹笛橋の近くののどかな田園風景と化し、唯一「竹佐々夫江旧跡」と刻まれた石碑が、伝説の地の存在を物語っています。

12.カケチカラ発祥の地(かけちからはっしょうのち)

カケチカラ発祥の地

  伊勢神宮が創建された後のある年の秋でした。一羽の真名鶴(まなづる)が昼夜鳴いており、倭姫命が使いをやると鶴は元が一株で八百の穂に茂った稲をくわえていたそうです。それを倭姫命が天照大神の御前に懸け奉られたのが「懸税(かけちから)」です。
  この真名鶴伝説を起源とし、伊勢神宮では「神嘗祭(かんなめさい)」に、両正宮の内玉垣と各別宮の瑞垣に懸税を奉り、その年の実りに感謝します。伊勢神宮からおよそ15km離れた明和町に斎宮がつくられたのは、こうした伝説と深く関わっているのかもしれません。
  カケチカラ発祥の地に立ち、青空を見上げれば、神宮をめざし古の時より天翔ける真名鶴の優美な姿が偲ばれます。

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