ストーリーの構成文化財一覧表

 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が平成27年4月24日に認定されました。

 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に発信することにより、地域の活性化を図る制度です。

ストーリーの構成文化財一覧表

1.斎宮跡(さいくうあと)

木々が点在して生えている奥に大きな三角屋根の建物が建ち、手前の斜面から下った窪みに小さな6棟の建物が建っている斎宮跡の写真

 天皇に代わり伊勢神宮に仕えた皇女・斎王の宮殿と斎宮寮と呼ばれた役所の跡。古代から中世にかけて660年間続いた。
 斎宮での斎王の暮らしは、神への祈りをささげる日々を送るとともに都さながらの雅やかな生活を送っていた。

2.斎宮跡出土品(さいくうあとしゅつどひん)(斎宮歴史博物館蔵)

大小様々な蹄脚硯や緑釉陶器、和鏡、羊形硯などが並んでいる斎宮跡出土品の写真

 出土品2,661点が指定されている。蹄脚硯や緑釉陶器、和鏡、羊形硯の出土により、これまで文献や地名からしか推定されていなかった斎宮の存在が現実的なものとなった。これらの出土品により斎宮では、神に仕える神聖かつ慎ましやかな生活と都さながらの雅やかな生活とが交錯する日々であったことが読み取れる。

3.斎王の森(さいおうのもり)

木々に囲まれた敷地の入り口に小さな鳥居が立っている斎王の森の写真

 斎王の宮殿があったと語り継がれ、斎宮のシンボル的な森として地元の人々により守られてきた。

4.竹神社(野々宮)(たけじんじゃ ののみや)

周囲を樹木に囲まれ、積み上げた石の土台の上に木材で囲われ中が見えにくい造りになっている竹神社の写真

 斎王の宮殿があった神聖な場所が人々の信仰の場(神社)として受け継がれ、現在も祈りの空間を感じられる。

5.祓川(はらいがわ)

周囲を木々や雑草で覆われた祓川の写真

 祓川は、聖なる神領の入口に流れる川。斎王の斎宮への旅立ちは、200人余りの官人、女官等を連れて5泊6日かけて群行する。斎王にとっては、神に近づく禊祓の旅でもあり、この川で最後の禊を行って斎宮に赴任した。

6.竹川の花園(たけがわのはなぞの)

周囲を畑に囲まれた場所に根本を長方形の石で囲った1本の大きな木が立つ写真

 『源氏物語』の竹河の段の歌に登場し、伝承では、ここに四季の花が植えられていたとされ、斎王も花園に来て花を楽しまれていた景勝地

7.隆子女王の墓(たかこじょおうのはか)

左右を柵で囲った細長い通りの奥に樹木で囲まれた隆子女王の墓の写真

 斎宮で亡くなった斎王、隆子女王の墓。隆子女王は醍醐天皇の孫女。宮内庁が管理を行い、清楚な雰囲気が漂う。

8.斎王尾野湊御禊場跡(さいおうおののみなとおんみそぎばあと)

白色の低い柵で囲まれた奥に立つ斎王尾野湊御禊場跡の石碑の写真

 尾野湊とは大淀海岸の古名。斎王が毎年9月に伊勢神宮で行われる「神嘗祭」に奉仕するため、8月晦日、禊を行って身を清めた場所といわれている。

9.大淀(おおよど)

右側に海があり左側に向かって住宅地から田畑にかけて大きな川が流れている大淀の地域を上空から撮影した写真

倭姫命が天照大神の鎮座場所を探し求め、この地にたどり着き命名
古代の多くの歌に「枕詞」として使われた景勝地

10.業平松(なりひらまつ)

木々に囲まれた敷地内に立つ枝が伸びた大きな業平松の写真

 斎王が伊勢に来た在原業平をこの松の下で見送り、別れを惜しみ、歌を詠み交わしたという物語に因んで業平松と呼ぶ。現在3代目
 斎王のはかない恋物語の舞台となった風景が思い起こされる。

11.佐々夫江行宮跡(ささふえあんぐうあと)

周囲を田畑に囲まれた位置に建つ佐々夫江行宮跡の小さな石碑の写真

 伝説の初代斎王・豊鍬入姫命の後を継ぎ、天照大神の御杖代として各地を巡幸した倭姫命が、伊勢の地に入られ、大淀に御船をとどめて造った宮跡

12.カケチカラ発祥の地(かけちからはっしょうのち)

鳥居の奥に三角形の大きな石碑が設置されたカケチカラ発祥の地の写真

 斎王・倭姫命と真名鶴伝説が由来。神嘗祭に初穂の稲束を伊勢神宮の内玉垣に懸け、国の永遠の繁栄を祈る懸税(カケチカラ)行事の発祥の地

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斎宮跡・文化観光課 文化財係
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