日本遺産認定「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」

 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が平成27年4月24日に認定されました。

 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に発信することにより、地域の活性化を図る制度です。

ストーリー

斎王―それは、およそ660年という長きに亘り、国の平安と繁栄のため、都を離れ、伊勢神宮の天照大神に仕えた特別な皇族女性のこと。そんな斎王が暮らした地、斎宮。伊勢神宮でもなく都でもない。慎ましやかであり雅やか。

斎宮という独特で特別な世界は日本で唯一ココだけ。ココは三重県多気郡明和町。

斎王の始まり

 斎王の歴史は日本神話の時代まで遡る。語り継がれる伝説の初代斎王は、天照大神の御杖代であった豊鍬入姫命。そのあとを継ぎ、天照大神の鎮座される場所を探し諸国を旅し、伊勢の地にたどり着いた倭姫命。倭姫命は、伊勢の地(現在の明和町大淀)に入り、佐々夫江行宮を造り、カケチカラ行事の発祥となる伝説をつくった。これが斎王と明和町との縁となったのか、斎王制度が確立し、斎王が天照大神に仕えた場所・斎宮は、伊勢神宮からおよそ15キロメートル離れた伊勢神宮領の入口につくられた。

郡行路と帰京路のマップ

都から斎宮へ

斎王は飛鳥時代に制度が確立して以降、天皇の即位に伴って、未婚の内親王または女王から占いにより選ばれた。選ばれた斎王は、家族と離れ、慣れ親しんだ都での生活とも別れを告げ、200人余りともいわれる従者に伴われて、斎王群行と呼ばれる5泊6日の旅により、斎宮へ向かう。この旅は斎王にとって神に近づく禊祓の旅である。聖なる神領の入り口に流れる川、祓川で斎王は最後の禊を行い、斎宮に入る。

長い髪の毛を結び着物を着て座っている後ろ姿の斎王のイメージ写真

祈る斎王

 斎宮に住まいを移した斎王が伊勢神宮に赴くのは、9月の神嘗祭、6月、12月の月次祭の年3回のみ。9月の神嘗祭に奉仕するため、8月に身を清めたと言われている尾野湊御禊場跡が大淀の海岸に残っている。それ以外の日々は斎宮で厳重な慎みを保ち、祈りの日々を過ごしながら、神と人との架け橋となっていた。

斎王と王朝文学

 神に仕える身であるがために、恋愛を禁じられていた斎王。恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりという悲話も多く伝えられている。そんな斎王の悲恋をテーマにした物語が『伊勢物語』である。69段「狩の使」には、在原業平と斎王の一夜の出会いが描かれており、斎王が在原業平との別れを惜しみ、歌を詠み交わしたという故事にあやかって、大淀にある松を業平松と呼んでいる。斎王の儚き恋物語の世界が舞い降りる美風景が今も広がっている。また、『源氏物語』には斎王をモデルとした人物が登場する。光源氏をめぐる葵の上と六条御息所の攻防は『源氏物語』の中でも有名なシーンであるが、この六条御息所は最終的に斎王に選ばれた娘と一緒に伊勢に向かう。つまり斎宮で暮らすことになる。これは、実際に娘に付き添って斎宮に赴いた徽子女王、規子内親王親子がモデルとなっている。他にも「竹河の段」には、今も残る斎宮の地名、「竹川」が登場する。「竹川」にあった花園には、四季の花が植えられ、斎王も楽しまれていたと伝えられている。他にも、『大和物語』『更級日記』『栄華物語』『大鏡』などの作品に斎王・斎宮が登場している。

座っている男性と向かい合っている女性が立っている王朝文学の作品の挿絵のイラスト

斎宮での暮らし

 斎王の斎宮での暮らしは、祈りを捧げる慎ましやかな生活の一方で、十二単を纏い、貝合わせや盤すごろくを楽しみ、歌を詠むといった都のような雅やかな生活をしていた。斎王の身の回りの世話、庶務などを50人近くの女官が行っていたことは、斎王の地位の高さをしめしている。また、斎宮寮と呼ばれる役所に勤める官人を中心に総勢500人以上の人々が斎宮で執務をしており、天皇の代理である斎王が暮らす斎宮は、都から訪れる人も多く、近隣の国からもさまざまな物資が集まるなど、この地方の文化の中心地の一つだった。

斎王の解任

 斎王制度が続いたおよそ660年の間に、60人以上の斎王が斎宮に赴いた。天皇の崩御や譲位によって新たな天皇に代わる時と、肉親が死ぬなどの不幸があった時、斎王自身の病などにより斎王は交代となった。赴任を終え、無事に都に帰った斎王もいれば、斎宮で亡くなった斎王もいる。彼女らのお墓は「隆子女王の墓」「惇子内親王の墓」として伝承され、今も大切に管理されている。

幻の宮

 さまざまな史実や逸話・伝説を生みながらおよそ660年間続けられてきた斎王制度も、南北朝の時代以降、国内の兵乱のために廃絶してしまう。古の制度は歴史の中に埋もれ、地名として姿を残すも、斎宮は「幻の宮」となってしまった。幻の宮になりながらも、斎宮に住む人々は、先祖代々語り継がれてきた斎王・斎宮の存在を信じ、斎王の御殿があったとされる場所を「斎王の森」、斎宮の人々に親しまれている竹神社を「野々宮」と呼び、神聖な土地として大切に護り後世に伝え残してきた。

大小様々な蹄脚硯や緑釉陶器、和鏡、羊形硯などが並んでいる斎宮跡出土品の写真

蘇る斎宮

 そんな幻の宮・斎宮が蘇ったのは昭和の時代に入ってから。発掘調査により、斎宮の存在が確認され、昭和54年に国の史跡「斎宮跡」として指定された。発掘調査によって都のような「方格地割」という碁盤の目状の区画道路を備え、伊勢神宮の社殿にも類する100棟もの建物が整然と並んでいたことが明らかになった。他にも緑釉陶器や蹄脚硯、墨書土器、祭祀用具の出土により、斎宮では都のような雅やかな生活が営まれていたことや、常に清浄を求め、禊を行っていたことが裏付けられた。今も続く、斎宮究明の発掘調査。すべて調査し終えるまであと200年以上かかるとされている。斎宮―そこには、古から現在までたくさんの人々のたくさんの祈りが込められている。ココ「斎宮」は、未来に続く人々の想いが溢れている。

斎宮と斎王の森を上空から撮影した写真

「日本遺産斎宮ガイド」アプリをご活用ください

三重県明和町の日本遺産「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を楽しむための多言語対応アプリケーションで、アプリを起動すると、まずは漫画で「斎宮」を学べるので、どんな方にも楽しんでいただけます。
アプリ内には、斎宮・斎王にまつわるストーリーの構成文化財の紹介とともに、文化財などの施設を巡るスタンプラリーをご用意しています。
また、文化財などの施設までの道のりは、明和町のマスコットキャラクター「めい姫」が案内してくれるので、迷うことなく観光していただけます。
現地に到着して見れる限定画像や、スタンプラリー制覇でもらえるプレゼントなど、観光の特典もご用意していますので、このアプリを手に、日本遺産「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を是非お楽しみください。

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斎宮跡・文化観光課 文化財係
〒515-0332 明和町大字馬之上945番地
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